IE9ピン留め

園田苑だより No.849

今年も1.17は巡り来る、東北に思いを馳せながら 
 今朝も例年の如く猪名川と藻川の合流地へ行った。まだ暗い中すでに15名ほどの人たちが焚き火をしながら暖をとっていた。川べりの欄干にはローソクがずらりと灯されていた。昨年はとても寒く風もきつかったのでローソクはほとんどかき消された。今朝の気温は4度を少し上回るくらい、穏やかで風もない。しばし、17年前の寒さを思い出すとともに、気仙沼は如何かと案じられる。
25名くらいの人たちが集まった頃、ハンドマイクからその時が近づいたことを知らせる案内があった。時報に合わせて二つの震災へ鎮魂の祈りを捧げた。万感胸に迫る思いである。
今年は3月11日にもここで行なおうとの提案が世話人からなされ、「その時尼崎にいたならば、東北の報告をやってもらえないか」声をかけられた。もちろん断る理由はない。
焚き火の周りには小さな子どもたちが夜明け前の星を眺めていた。甘酒とぜんざいが配られ、それをすすってからお墓参りに向かった。
2001年1月17日に亡くなった入居者のお墓である。阪神淡路の犠牲者を弔い、お墓参りを行なうことで1月17日は始まる。

住み慣れた所から遠く離れた仮設住宅で 
 年末29日から年始5日まで東北に滞在した。今回はもっぱら作動し始めたサポートセンターを訪問し、少しばかりのお手伝いと情報収集に当たった。
 気仙沼が設置したサポートセンターは4ヶ所。市内にあるのは3ヶ所。1ヶ所は県外である岩手県一関市千厩にある。千厩と書いてセンマヤと読む。初めての人でどれほどの人が正しく読めるだろうか。
 仮設住宅を市外・県外に求めなければならぬほど東北の被災者は多く、沿岸部には適した土地がない。津波で家を失ったとはいえ馴染みの地から遠く離れた場所での生活を余儀なくされている。
 花巻から気仙沼に行く途中に千厩はある。先ずはそこに立ち寄った。あいにく休館日でありそこに勤める相談員とは会えなかったが、雪の積もる深閑とした仮設住宅を見聞することになった。同じ一関市折壁にある仮設住宅では“高齢の”自治会長さんが一人で集会室にいた。ここも寒い所だ。
 元旦に再訪して年齢を聞くとまだ60歳を少し超えたばかりだと言う。こたつに足を入れてテレビを見ていた。独り暮らしなのだろう。千厩と折壁の仮設住宅内集会室にはバリアフリーの風呂があった。阪神淡路の時にはなかったものである。
 滞在期間にそれぞれのサポートセンターには復数回訪れて、兵庫のLSA活動の紹介と少しばかりの体験を披瀝した。
 気仙沼市最大の仮設住宅は市のはずれ、市民野球場にあった。300戸を越す仮設住宅群であるが、生活利便施設は近くにない。
 元旦に道を尋ねた訪問入浴サービスは、年末年始無休で営業していたのには驚くとともに感心した。
                2012.1.17 Ⅾ.N

神戸新聞 2012.1.16 参考掲載
# by nakamura_daizou | 2012-02-01 09:59 | 園田苑だより | Trackback | Comments(0)

園田苑だより No.848

被災者支援に暮れも正月もないとの声に動かされ 
 年末29日から新年1月5日まで東北に居た。そもそもは3日まで気仙沼に滞在する予定だった。それが3日の帰阪日の当日になって飛行機の出発時刻をその直前まで思い違いをしていた。そのことがわかった時はすでに遅く、自己の加齢による人間的変化の顕著なることをいくら悔やんでも致し方なかった。正月ラッシュでもあり5日まで空席はない。3日は花巻にやむなく泊まり、4日は遠野に泊まるハメに陥った。
 だが、花巻では宮沢賢治により深く触れることになり、特養「銀河の里」も訪問し、これからの相互交流について具体的な話をすることができた。
 遠野では突然泊まったユースホステルの主人が、生まれも育ちも尼崎であることを知らされ、驚くとともにまたもや“偶然には必然が隠されている”ことを、「みちのく」に来てまで知ることになった。
 今回の一連の東北行きは、そもそも想定外のことだった。昨年3月から借りている車を、手配してくれた岩手県西和賀郡旧沢内村の特養「光寿苑」に礼を言い、同地の自動車会社にいったんは返さねばならない、それをいつにするかを考えていた。しかも東北の冬は雪深く、雪の体験が全くないこともあり、被災地訪問を少し休もうかと考えていた。
 その矢先、気仙沼の特養「春圃苑」に電話をしたところ、同苑が運営する被災者の生活支援を行なうサポートセンターは年末年始無休だと言う。知って何もせずにいるのは“人間がすたる”と、大げさな気を起こし年末年始を東北に行くことに決めた。
 園田苑開設以来23年間、大晦日三が日は苑に皆勤だった。定年退職したからにはもういいだろうとの気持ちもあったが、心を大きく動かしたのは「春圃苑」の電話“被災者支援に暮れも正月もない”だった。

この訪問が僕の人生を変えるかもしれない
 宿泊は津波に洗われ、ようやく営業を始めた気仙沼の古くからの旅館。夕食は出せないけれど近くの港町に復興屋台村(下面参照)もオープンしたので、そこでなんとか食べて下さいとのこと。屋台での夕食なんてなんて楽しいことと、即座に宿泊をお願いした。
元旦朝、旅館の玄関で所在なげに立っている男性に声をかけた。年末ギリギリまで仕事をして夜行バスで気仙沼まで来たが、ボランティアセンターは閉まっているしボランティアの募集もない。「こんなこととは知らなかった」と、私にこれからどうするのかと問うてきた。
ちょうど気仙沼市唐桑地区の仮設住宅に向かうところだったので同行させた。車の助手席で聴くともなく彼がしゃべったのは、プロのテニス選手を目指しているが、それでは食えないから家庭教師をやっているとのこと。この特技を被災地で活かさぬ手はない。
 2日の朝、また別の男性が途方にくれていた。旅館の女将さんが昨日のこともあり、「この人、陸前高田に行きたがっているけど、、、」と言ってきた。彼も年末年始の僅かな休暇を利用して被災地にやって来たものの、何のツテも持っていなかった。陸前高田は気仙沼のすぐ北隣だが、徒歩で行くには遠くバスは一日にたった2本しかない。
彼は「東京の人はここを見た方がいい。この被災地訪問が僕の人生を変えるかもしれない」と車から降り、「ありがとう」と言って手を振って歩いていった。
     2012.1.6 D.N
参考記事 三陸新報 1/1より
# by nakamura_daizou | 2012-01-16 08:36 | 園田苑だより | Trackback | Comments(0)

園田苑だより No.847

比嘉さんの同期生中山さんを尼崎にお呼びしよう 
 入居者の比嘉光子さん(86)が母校沖縄県立第二高等女学校の同窓会に初めて出席してもう4年。今年11月に開かれた同窓会には、比嘉さんたっての希望で2回目の出席となった。
その同期生に今や沖縄戦の語り部となった中山きくさんがおられる。83歳という高齢にもかかわらず、琉球新報などではその活躍ぶりがしばしば報道される。
同紙12月10日、11日号にもそのお元気な姿が報道されていた。早速、その紙面を拡大して張り出すとともに、朝食を終えられた比嘉さんに、さらに拡大した紙面をお渡しした。比嘉さんは眼鏡をかけてその紙面をご覧になった。
その姿に心打たれ、比嘉さんに「一度、中山さんをお呼びしようか」と声をかけると、いつもは寝ているのか寝ていないのかよくわからず、聞いているのか聞いていないのかよくわからない目を、この時ばかりはカッと大きく見開き、にこっと笑われた。
これで決まりだ。早速中山さんに電話を入れた。忙しい方なので早朝か夜間しかご自宅の電話には出られない。時間帯がよかったのか中山さんが電話口に出られ、今しがた比嘉さんと相計らったくだんの件をお伝えしたところ、たちどころに了解の旨お返事下さった。そして、その後に沖縄の銘菓「ちんすこう」とともにいただいた手紙が下面である。
「私が一番つらいのは22人の友達をなくしたこと。平和を守り続けていくと、いつも誓います。でももう、この年だからどうしよう。平和は実現していない。沖縄もそうじゃない。日本国内の米軍基地の74%がある、米兵の事件事故が日本の法律で裁けない。不発弾も出てくる。何も知らないでいれば私と同じことになるよ」(琉球新報2011.12.11)と中山さんは語る。
中山きくさんが戦場体験を語り始めたのは戦後50年もたってのことです。半世紀の沈黙を破って語り始めた中山きくさんの胸中は察するに余りある。その中山きくさんをぜひとも園田苑にお呼びしよう。
園田苑入居者の4人が沖縄の出身かルーツを沖縄に持つ。沖縄出身の職員も1人いる。そして、尼崎には沖縄出身者がとても多く住んでいる。この仲間たちと共に沖縄を語っていくのも、また園田苑の役目だろうと思う。

東北の雪、今年は如何ばかりか 
 東北からはもう雪の便り。今年はあらためて雪の被害に思いを致す。地震や津波は天災と誰しも言うが、(平時の)雪の被害はなぜ天災と言わないのか。雪なだれならずとも豪雪による被害は毎年発生しているのに。考えてみなくともおかしなものである。
 台風の被害はしばしば受けても、自身が受けない雪の被害をまったく受けない私たちの身勝手を知る。むしろ雪からのイメージをロマンチックな側面で捉えている私たちだが、今年の東北の雪の“便り”にはことのほか注意しよう。
        2011.12.30  Ⅾ.N
# by nakamura_daizou | 2012-01-11 19:29 | 園田苑だより | Trackback | Comments(0)

園田苑だより No.846

カゾクとは家族ではなく華族のことだった 
 18日、いつものように朝はやく起きてきた中西ハマコさんが、テーブルの上においていた毎日新聞を見て、「まだもめてんのか」とつぶやいた。横にいた私には何のことかすぐにはわからなかった。その毎日新聞一面トップの見出しに、「野田内閣“女性・女系天皇”棚上げ 検討“宮家”に限定」に目をやって理解できた。
 中西さんは続いて「天皇家でももめることがあるんやな」と言い、こちらが何も答えていないのに、「みんなカゾクやろ」と次いだ。「カゾク?」。天皇一家の家族のことを言っているのかと思ったが、どうもそれでは話が俗っぽすぎる。
 カゾクとは華族のことを指しているのだった。この場に若い職員が居たならば、カゾクから華族を直ぐに連想できただろうか。久しぶりに耳にする“華族”なる語であった。田舎の古箪笥の中からでてきたような感がした。
 そこで「何でもめるの」と口を挟むと、「なりたがる人がおるんやろ」と返す。「なぜ?」と問うと、中西さん「そら、天皇が一番エライさんやろ」とこともなげに言う。新聞の記事よりも中西さんの解説のほうがよっぽどよくわかる。それにしても、このような記事が一面トップになり、中西さんのような話が出るのは、とても日本的なものだろう。

夜明け前に起きてくる二人 
 園田苑2階の早起き組みは、遠藤あやさんと山口ヲモイさん。遠藤さんはAKB並みの名前、山口さんの名前は年代を感じさせる。お二人とも日の出前に起きて来られる。
 山口さんはこの寒いのに食堂フロアの窓を開け放って、ベランダに出て手摺を拭く。それが終わると食堂のテーブルをその手ぬぐいで拭き始める。窓はベランダだけではなくトイレの窓を開けるから、突然警備会社アルソクのけたたましい音が鳴り響き当直者はあわてて起きてくる。そして、警備会社からの電話に対応することになる。
 園田苑にはそもそも警備会社は関与してなかった。否、関与させていなかった。警備は福祉に反するものである。それが止む無く警備会社にコトを頼むことになったのは、夜間に進入してきた泥棒だった。福祉施設に泥棒が入るなんて世も末である。金品が取られることよりも、お年寄りが被害を受けることを防止しなければならない。
 泥棒を撃退したのは玄関で寝起きしている愛犬“ゆすら”であったが、年老いてゆくゆすらにも安眠させてやらなければなるまい。

一つの時代の終わりなのか、はたまた新しい時代の始まりなのか 
 19日のTVは北朝鮮の金正日総書記の急死を繰り返し報道し、過去の映像も何回となく映し出された。それをじっと見つめる在日朝鮮人の入居者がいる。黙って見続けるその人の胸中に去来するものはなんと多いことだろうか。
 年末に飛び込んできた大ニュースである。これが一つの時代の終わりなのか、はたまた新しい時代の始まりなのか予断を許さないが、どちらにしても東アジアの平和と善隣友好に繋がることに期待しようではないか。
     2011.12.26 D.N
# by nakamura_daizou | 2011-12-27 09:02 | 園田苑だより | Trackback | Comments(0)

園田苑だより No.845

行政は高齢者施設になぜ風光明媚な場所を用意したのか 
 園田苑は前に藻川が流れ視界を遮るものがなく、近くに五月山、遠くに生駒山が眺められ伊丹空港に離着陸する飛行機も眼前に見えて、5月には鯉のぼりが泳ぎそれはそれはいい所だと、誰かが言ったとか言わなかったとか。
 だが、3月の東日本大震災、そして9月の台風12号の十津川村の惨禍を目の当たりに見て、シーサイド、リバーサイドがいかに危険極まりないか思い知らされた。海であれ川であれいったん猛(たけ)ると、その威力の凄まじさは一挙に人智の営為を破壊する。
 東日本の大津波が高齢者施設を襲い、大きな被害をもたらしたことは事実である。だが、そのことを論じた大学先生のコメントは、全く的外れもいいところである。(下面参照)
 先生曰く、行政は高齢者施設に“風光明媚な場所”を用意したと。学者は本当に何も知らない。現状はとんでもない。行政は人里離れた辺鄙で不便な場所か、処分に困り果てていた場所を斡旋したにしか過ぎない。
 園田苑の用地確保に当たって尼崎市が取った行動がそのことを如実に示している。法人の母体阪神医生協は当初、田能地区で用地確保を試み、土地実測までやったものの相手側の心変わりで日の目を見なかった。
 市が提示してきたのはJR沿線の廃材置き場だった。面積に難があり検討から外れた。その次に「ここしかない」と提示してきたのは山手幹線から少し南に下った整地された長方形のきれいな市有地だった。この土地を提供することに付帯された診療所建設や人材雇用の条件を応諾したものの、地域ボスの反対に市は沈黙せざるを得なかった。
 いよいよ切羽詰って市が出してきたのが現在の地である。土地は方形でなくいびつ、位置は堤防の真横で河川法の制約を受ける、地盤は軟弱で掘ればすぐ水が沸く所である。そもそも市はもてあましていた土地だった。
 それでも、老人福祉計画を進捗させるために市はあせっていた。「もうこの土地しかない」との言葉で決まってしまった。
 それでも、その悪条件を克服すべく地域住民の不断の努力で今日の園田苑は存在している。

シーサイド、リバーサイドは危険極まりない 
 12月12日から14日まで、震災以来、13回目となる被災地訪問を行なって、あらためてシーサイド、リバーサイドの破壊された残骸とまだ残る瓦礫を見て、その立地条件が如何に危険であるかを再認識させられた。
 今回の訪問の主たる目的は、仮設住宅の防寒対策を見ることもさることながら、気仙沼市に設置された(主に被災高齢者への)サポートセンターの現状を知り、仮設でのコミュニティー作りと同センター運営にどんなお手伝いが出来るかを考えることだった。
 そして、震災後に手づくりで始められた無認可の託児所への励ましとお歳暮配達であった。こんなお歳暮配達は初めてのことであったが、覚えていてくれた子供たちもいて嬉しかった。帰途、花巻にある高齢者と障碍者共同作業所「銀河の里」に立ち寄った。
      2011.12.19 Ⅾ.N
参考記事 河北新報 12/13
# by nakamura_daizou | 2011-12-21 07:50 | 園田苑だより | Trackback | Comments(0)
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